戯言 

4月に入社式があって晴れて「しゃかいんじん」「サラリーマン」というモノになるもけで・・・子供のころから将来なりたいものいわゆる「夢」というものがまったくなかったのですが・・・・なんとなく目先の小さな幸せを得るために毎日、プラモを作ったりゲームしたり漫画を描いたりしながら気の会う友達とたまーに遊んだりしてだらだら暮らしていたら、行き着いた先がコレだよ。

20年以上、学生という身分、子供であったのがあと一ヶ月もしないうちに社会人、大人になる・・・いわゆる人生の転換期にさしかかっているのというのに私のやっていることは基本的には小学生のころから変わらない。毎日毎日、プラモを作ったりゲームしたり漫画を描いたりしながら気の会う友達とたまーに遊んだりしてだらだら暮らしている。会社で働くようになるとそれらの時間は以前より確実に減るだろうが、それはあまり苦とは感じない。

遊ぶ時間趣味の時間は減るが基本的な本質の部分、自分が行う行為の変化が起こるわけではないのだ。社会人になっても突然、自分の価値観、行動理念が変化することはまずないと思う。

なぜこうも断言できるのかと言うと私はとても保守的な考えの人間で現在の自分の容姿、金銭的生存が非常に安定しており、また自分が生きる目的というものをはるか以前から答えをある程度の憶測で出しているからだ。一般的に世の多くの成年男性、人間含めそのほかの生物のオスは自分の遺伝子情報を後の世代に残すために配偶者、すなわちメスを見つけ交配するために生きるのだが、全てのオスがそういった行動を取れるわけではないし、またそういった行動に興味を示さない特殊なオスや遺伝子情報を物理的要因により残すことができないオスとしての機能が欠如、不完全なモノもいる。

私は特に身体に異常があり、不健康でもなければ遺伝子情報に欠落があるわけではなく、精神状態は常に安定しており極度の興奮状態や怒り、悲しみ、喜びといったモノに多少、鈍感ではるが、特に現在、深刻な悩みもなく安定している。いわゆる一般的な成人男性ではあるが、一つ決定的にオス、生物として欠如しているある部分がある。

現実世界においての異性に対しての性的興味、性的欲求、また配偶者、恋人、伴侶といった存在を今まで欲することはなくなってしまった。すでに種としての存在理由が私には無くなっているので、人間世界での種としての遺伝子情報受け継ぎのシステムがないので、私は生きていても価値がない、と小学生の時に答えというかそう考えてしまって、自分はこの世界に必要がないもの、この世界の種を残すという繁殖サイクルからはずれた有機物と割り切って考えてしまうと生きている意味や将来の夢、希望といったモノが全て自分にとっては関係のないくだらないモノだと思っていらい。私はこの世界ではシステム的に死んでいるものとした見方をするようになってしまっているんですが・・・

自分の存在理由がなくなったわけですが、不思議と自殺、自分の存在をこの世から消す行動は取ることがなかったです。この理由は多分、現在の私の環境がそれほど不具合のあるものでもなく人間関係、金銭、物欲がすべてがバランスよく満たされてなおかつ適度なストレスがあるようになっていたので、自分の存在理由がなくなったとしても自殺する理由は何もなく、追い詰められた状況ではなかったのも一つの原因です。

もし仮に自殺するほどの危機的状況が自分の身にせまったときおそらく私の行動はそういった状況から回避するためにいろいろな手段を前もって行うことによって無意識のうちに回避すると思います。いじめによる精神の疲労や将来の希望の見通しのなさによる絶望は自殺の大きな要因ですが、自分の存在理由の欠如による自殺はまったくもって意味の無いものです。なぜなら自己の存在理由の欠如を照明することは完全にはできないからです。どこかで自分の存在を冷静に見つめる心があるならば自殺に対して冷静にみることもできるからです。また、自分の存在が意味の無いものだという答えがでたならば今すぐに自殺する必要性はまったくなく、10年先でも100年先でも自殺しても同じことであるからです。

私が高校生だった頃、元クラス担任の教師が痴漢行為で自分の行った行動に負い目を感じたのかもしくは自分は社会に必要の無い人間だと感じてしまったのか。自殺を行ったことがあるんですが、私はその教師の行動に対して特にこれといった感情を抱くことが出来ませんでした。その教師の自殺は学校全体が大騒ぎになったんですが、一人の人間の自殺がそれほど重要なことではないと冷酷ながら思ってしまった。日本は自殺者数が他の先進諸国に比べて非常に高い数値です。なぜこれほどまでに日本に住んでいる人々は自殺するのか疑問で仕方ありません。自殺する多くの人はみな種としての欠落した機能、すぐにでも死んでしまわなければいけないほど多くの人間に迷惑をかけていたわけでもありません。自殺することによって現在の状況が打開できると考えての行動であったとしても自殺によっての状況打開率は低く結局のところあまり変化していないものだと思われます。自殺した教師の心境はわかりませんが、自殺することによって生じる様々な要因、自殺するとどういったことが起きるのかという想像力の欠如が教師の自殺を早まらせたのかもしれません。まあ・・・どんなに追い込まれた状況であっても冷静で合理的に当たり前のことを当たり前にすれば自然と多くの問題は時間と物質や情報の持つ劣化能力が働き。問題はなくなるのが世の常です。

そこまでわりきった考えを持ってしまうと世の中のもの全てが価値の薄い、どうでもいいものと感じてしまう弊害もありますがね。

長々とくだらないことを書いてしまいました。皆さんはこういうことって考えますか?自己の存在理由や他人の行動、思考についてあらかじめ答えを出しておくといろいろと行動するときにあまり考えずに便利なんですが、完全な答え、凝り固まった偏見や価値観を持ちすぎてしまうとかえって行動するときに障害となる可能性がでてくるのである程度の矛盾と解答の不透明さ、あいまいさを入れておくと拡大解釈、特例といった具合に幅のある応用ができます。
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[ 2008/03/04 20:52 ] 戯言 | TB(0) | CM(0)

戯言 



私はいままで人を真剣に信用したり人を好きになったことがないんで、というか基本的に全てがどうでもいいことでくだらないことだと考えてしまう。かなり駄目な思考を持ってしまい、何にたいしても捻じ曲がったおかしい考え方をしてしまう・・・・

この性格はなんとかしなくてはいけないといつも思うんだが・・・・でもこの捻じ曲がった性格のおかげでいろいろ得してることも多いのでやめられない、あーーーでもそう思っているのは自分の都合のいいように解釈している可能性も否定できない。何回かこの性格のせいでイタイ目にあっているのに・・・やめられないのは多分、私の性格の一つにいいかげんなところが強いせいだと思う。なんか、このいいかげんなところも好きだったり嫌いだったり・・・・

このめんどくさがりでいいかげんで捻じ曲がった考え方はどうあがいても直らないような・・・
というか自分に直す気がないから直らないんだなww

[ 2008/02/26 02:46 ] 戯言 | TB(0) | CM(0)